Prune.

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【超短編小説】魔法のようなもの

魔法のようなものについて語ろう。

その部屋では、美しいスロービートの音楽が流れている。どことなく60年代を思わせるような優美な歌声と、ディズニー映画を思い起こさせるようなおとぎ話の音。

『もし僕らの言葉がウイスキーであったなら』というエッセイがあったが、ここでは『魔法のようなものについて語るとき僕の語ること』とでも言っておこう。

とにかくそこでは美しい音楽だけでなくて、美しい香りにも溢れている。新鮮な野菜たちの香りや、鮮度の高い肉を焼いた香ばしい香り。なんて芳しい。

現実世界がどんどんと超現実的になっていくなかで、ここでの現実はむしろ魔法的。たしかにリアルなんだけれど、あまりにフェイクのよう。でもフェイクじゃない。それは魔法のようなものであって、魔法ではないのだ。

明日のことなんて考えなくていい。考えようとする流れだってそこでは起きない。ただ今この時間を慈しむこと。そのなかには良い音楽と、美味しい食べ物がある。

テーブルに座っていると、スモークされたハムと新鮮な緑黄色野菜で作られたサンドウィッチが出てくる。上品なカトラリーでそれを切り、口に頬張る。コンビーフがたっぷりと入ったサンドウィッチもなかなか上等だ。たまごサンドも、なぜか懐かしい気持ちになる。新鮮な卵で作られたサンドウィッチは、色鮮やかな色彩でも僕たちを喜ばせてくれる。

彼女はその部屋で用意されたカトラリー、そして食器に目をやる。決して華美ではない、しかし内奥から滲み出る滋味を感じさせる食器たち。真っ白な陶器にうっとりとする。そこに静かに混ざり込む青の色彩。海を思わせるその青が脳裏に広がる。

窓の外に目をやる。そこには大きな庭がある。少し向こうに行くと湖も見える。その湖へ向かう道は決して平坦ではないけれど、そこを越えると静かな湖へとたどり着く。

大きな庭に悠然と並ぶ木々のことを思う。それら、あるいは、彼らはいつからここにいるのだろう。その深い緑を眺めていると、日々の細々としたことはどうでもよくなる。

美しさの集合体のような木々は、決して何も語りかけない。僕らはそこに物語や意味を見出す。それも尊いことだろう。

太陽がだんだんと沈んでくる。あの強烈な光はどんどんと沈む。その光は、朝を知らせ、昼を生き、夜になると影を潜める。部屋の灯りが緑の庭に佇む。ただただ暗い、その庭にひっそりと灯りが灯る。

ふかふかのシーツをベッドに掛け、大きな枕で眠る。月明かりが静かに窓に差し込んでいる。ただただ静かに、何も語りかけることなく。