【超短編エッセイ】強さとそのユーフォリア
夢の記憶、愛の記憶、刹那の記憶が蘇る。すべてがリフレクションとして、過去からの連続性のなかで立ち上がってくる記憶だ。
夢のなかで笑顔を見せていた僕は、現実のなかで苦しさや、過失や、やるせなさを感じる。けれど、それですべてが終わってしまったわけではない。現実から新たな現実を作り出すこと。創造性とはそういうことをいうのだろう。
彼女は僕よりもっと優れた創造性を持っていて、それは私たちを包むマニュフェストを簡単に飛び越えるような規模感で、それでありながらリアリズムを纏っていた。
僕はかつて彼女にこう問いかけたことがある。
「あまりに大きな、あまりに無謀な夢を掲げて、もしそれが上手くいかなかったからどうするつもりなの。」と。
彼女は一瞬僕を憐れむような顔をしてこう言う。
「どうして上手くいかなかったら、なんて考えるの。すべては上手くいくの。それは私が決めたことだし、そうなる運命にあるの。絶対に。」
僕は彼女の宇宙レベルで支持されているようなマニュフェストの強さに、くらくらした。
「僕だって」「私だって」と誰もがいう。そのなかで現れるリアリズム、そして実は上手くいくわけがないと心のなかでは否定している感情が、実はすべてを上手くいかない方向に進ませているのではないかと。僕は彼女をみて、そんなことまで思ったのだった。
僕は彼女の自信過剰が羨ましいと思う。むしろそんな自身過剰さは素敵だとも思う。
僕は記憶を再生する。痛ましい記憶に、素晴らしい記憶。もう思い出したくない過去に、もう一度、いや何度でもリピートしてほしい記憶。
それらが散逸する世界で、僕は彼女のポジティブネス、そしてそのユーフォリアに心から羨ましく憧れるのだ。