Prune.

好きなことを好きなだけ。

empty

胸の奥に溜まっていた感情のゲージがどんどんと上がっていく。

少し前までは空っぽだったはずの箱が、すっかりと埋まっていく。

そこには最近会った人のことや、最近食べた美味しいもののこと、最近見た美しい景色や、最近ドライブしたときにアクセルを踏み込んだフィーリングなんかが詰まっている。

 

「僕は、多分、この先もこの程度だと思う。」

と彼はひとりでにつぶやく。30を間近にして、彼は自分の行く末のだいたいが見える。それは不幸せでないにせよ、幼い頃に思い描いていたものとは違っている。今付き合っているパートナーと結婚する気はない。もし結婚する気はない、なんて言ったらパートナーは怒るし、悲しむだろう。

しかしこの先もこの程度だと思ってしまうからこそ、結婚してまた新たなものを切り開こうという気持ちにはなれないのだ。これが自分のエゴ以外の何者でもないことはわかっている。

わかっている、という言葉を口にすることもおこがましいことだと、彼は思う。しかし、それは事実である以上、そうとしか言えない。

 

ずっと昔は、彼の心のなかだって、良い意味で空っぽだった。そこには既に描かれた理想像もなく、また世界に関する標準的な絵も存在しなかった。また金銭や住居、容姿に関する基準も存在しなかったし、それらを伝達するメディウムも成立していなかった。

しかし彼は大人になることで、そういったものを伝えるメディウムに自ら乗り、そして空っぽだった心はどんどんと埋まっていった。しかしそれは彼にとって、幸せなことだったのか、あるいは不幸せなことだったのか。

 

彼は友達とお酒を飲みながら、彼の友達のパートナーの話を聞く。一緒に暮らしているけれど、結婚すべきかどうか、といった類の話に。

おやおや、少し前までそんな話、一言も出てこなかったじゃないか、と驚きつつ、そういった感情は「大人」なので隠して、友達の話を聞く。

僕たちは住む家の方向が違うので、彼を見送って、自分の最寄りへと走る在来線のホームへと歩く。歩きながら、僕らは勝手に年をとって、そして良くも悪くも進んでしまっているのだ、と気づく。

それは僕らの個人的な歩みとともに、社会的なものも含めて、進んでいるのだと気づく。テクノロジーの変遷とともに、人々がますます計量可能となり、価値は遷移していく。あらゆるものごとが値踏みされ、記号化され、瞬間的に消費され、データベースに記録されていく。

 

「僕は、多分、この先もこの程度だと思う。」

彼は正直な計量の結果として、この言葉を再び吐く。多分ロボットにも勝てないし、生身の人間を魅了するほどの「なにか」を見いだせているわけでもない。

しかし、いま-ここにあることの重厚さと、再びemptyになり、また埋まっていく心のありさまを想像すると、まだまだこの程度でも十分なのさ、と言いたくなるのは自分だけなのだろうか。

8 Ball

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