Prune.

好きなことを好きなだけ。

高速度

窓の外の景色がものすごいスピードで移り変わる。田舎の田園風景を見ていた僕は、続いてビル群を眺め、そして海の向こうに沈んでいく太陽を目にする。

僕が少し前まで会っていた人たちや、少し前まで目にしていた画面、大事にしていたものやことが、高速度のなかで記憶から消えていく。

自分のなかでの記憶の定着の前に、この高速な移動は僕を全く別のところへと連れて行ってしまう。そこには目的地がなく、というかどこに向かっているのか分からない。

そこには誰も足を踏み入れたことがない。前人未到の場所。この高速移動体は、定期的にその場所へと運行しているはずなのに、結局今まで誰もそこにたどり着いたことはないらしい。いつも途中でみんなが降りてしまう。

ありとあらゆる存在とそれにまつわる記憶が、文化や思い出として定着するまえに、高速度のなかで分解されてしまう。そんなフローの世界で、僕は自分自身がそもそもストック的な定着性を有しているのか不安になる。そもそも自分とは何なのか、と根源的な問いを思春期みたいに立ててしまう。少し恥ずかしい。

 

移動の本質は、定着や定住からの連続的な離脱であり、いま-ここの絶え間ない変化にあると思う。私は、僕は、という言葉を発する間に、私も僕も変わってしまう。何も知らないはずの他人が、あなたは、だとか、君はだとか、決めつける前にそれは変化してしまい、その規定は無効化されてしまう。

空港がトランスナショナルな空間性を有しているように、AでもBでもないというのは不思議なことなのだ。よく考えてみると。

 

高速度で、移動する。

止まらないで、移動し続けて、と僕はいう。