Prune.

好きなことを好きなだけ。

ささやかな日々、しかし強烈な日々

KIRINの「発酵レモンサワー」を飲みながら、この文章をなんとなく書いている。誰に宛てて書いているわけではない、強いて言えば自分に向けて。

コロナ禍の先が見えない、暗い、ひたすらに暗い世の中が続く。トンネルのなか、向こう側の出口が見えないような感じ。そんななかでも日常は続くし、新垣結衣星野源と結婚する。

努力して、笑顔を絶やさない、アイドルの姿がテレビ越しに映る。彼女たちが今感じていることが知りたい。ライブができず、ファンは向こう側にいる。ファンとはどういった存在なのか、そもそもアイドルに限らず、人と人の繋がりという普遍性はいったいどんなものだったのか。

コロナ禍でいろいろなことが変わり、いろいろなものやことが消えた。

小沢健二が歌うように、「あんときしばしやばかったよね」という言葉で、未来の人々はこの時代を語るだろうか。

この時代が将来の歴史の教科書に載ったとき、そこに添えられる写真はどんな風景だろうか。マスクをしながらも、会社へ向かう人々?それとも孤独に、部屋で、一人テレワークに励む人々?あるいは。

夜の街を一人でとぼとぼと歩くと、ランニングをする人々にしばしば出会う。ああこんなふうに、人がそれぞれ普通に生きている。それが尊いと思うことがこれまでどれだけあっただろうか。

Zoom越しに見る人々の顔を見て、それはまるで映画に登場する人々のようで、現実とフィクションの区別が曖昧になる。アバター?そういったものだろうか。

毎日をちゃんと過ごす。その所々に複雑な感情が入り交じる。今この時間、顔も名前も知らない他者のことを考える。それはまさに私たちの「社会」を組み上げる他者。

僕はいまここにいて、あなたもいまどこかにいる。マスク越しであっても、遠く離れていても、僕たちはいま-ここにたしかにいる。

執政者も、子どもたちも、芸能人も、スポーツ選手も、みんないま-ここを生きている。森に降り注ぐ雨のように、僕たちの目の前に襲いかかるスコールがいつか終わり、そしてその雨が太陽という強烈な光によって乾き、また新たな日常がはじまりますように。

ささやかな日々、しかし強烈な日々のなかで、そんなことをいま-ここで考えている。