Prune.

好きなことを好きなだけ。

分かりあえないから

れ狂う季節のなかで、「ありがとさん」「ごくろうさん」といった言葉をつぶやく。

あらためて考えてみると不思議な言葉だ。日々の実践のなかで何気なくつぶやかれている言葉の尊さや、それが交感していくさまを想像すると、言葉の重みを感じる。

言葉で誰かと分かり合い、時には分かりあったつもりになり、その言葉の嘘に気づいて悲しくなり、婉曲的な言葉による真意を知って辛くなり、混じりけのない言葉の発音の美しさに感動したりもする。

言葉のなかで僕らは生かされ、また感情を揺り動かされている。

きらめきの中に浮かぶ言葉たちに色がつく。散々、あんなこと言っていたのに、最後もまた言葉で仲直りしたりする。

 

葉が揺らぐ。ゆらゆらと接続し、ゆらゆらと離脱し、するすると書き綴られる言葉を思い、それに生かされる自分を想像する。

いつかあのときに離された手を再びつかみ、すべての謎が解けたかのような顔をして、世界の多くの物事や、人の心の奥底を知ってみたい。結局は僕らが言葉で分かりあえない存在であることを知っているからこそ、そんなことを思うのだ。

そうしたら、きっと世界を分断するものも、自己と他者というテリトリーも、夢と現実という境界線も、正しさと過ちという二元論もきっとなくなってしまうだろう。そうしてそこに表れたものは、そうした言語的な二元論ではなく、もっと多元的で分散的で曖昧さを称揚するようなものになるのだろうと思う。

 

然に夜の海を思う。夜の海が好きだ。この深く、真っ黒な終わりのない海で、言葉の限界を超え、まだ見ぬ多元的で未分化なありようを見てみたいと強く思う。

ムーンライト銀河

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