Prune.

好きなことを好きなだけ。

躊躇いなく

躊躇いなく、その電話を無視した。

その電話は2度か、3度繰り返し鳴った。私は少し怖くなったけれど、息をそっと潜めるようにその電話が切れるのを待った。

希望とか、理想とか、そんな言葉が概念的なものとしてではなく、本当にあればよかった。

そうしたら、この関係だってもう少しはまともなものになっていたかもしれない。もしあんな感じだったら、こんなふうにすれば、と考えたところで、もう遅い。

 

もう電話は来なくなった。着信履歴は消した。

冷蔵庫に入っていた、最近貰ったばかりのクラフトビールの蓋を開ける。グラスになんて注がずに、そのまま口に流し込んだ。私はビールが苦手だ。

初めて彼女に会ったときのことを思い出した。私は彼女に対して、なにか不思議な感情を抱いていた気がする。それは尊敬にも似たー私自身の抽象化された理想を体現したような人だったからーものだった。彼女は私を行きつけの喫茶店に連れて行ってくれて、私はそこでプリン・ア・ラ・モードを食べた気がする。なんだか子供っぽいな。今でもそう変わらないんだけど。

 

彼女にとって、私は何だったのだろう。友達でもなく、恋人でもなく、なにか言葉で表現するのが難しい。いろいろあったけど、私にとっては大切な関係だった。だからこそ、今私はすごく怖い。彼女のことが、そしてこの関係が壊れてしまったことが。

7月にこんな切なさを覚えるなんて思わなかった。やっと梅雨も明けたのに、私の心のなかでは、まだじとじととした湿度の高い空気が漂っている。たまに涙のような雨も降る。

 

私は大人になりきれなかった。彼女はもうずっと前から私なんかよりずっと大人だったのに。私が自分のことばかり考えていたからなのかな。私は、とか、私が、と一人称ばかり使って、なんならたまに自分の名前を言ったりしながら、子供っぽく彼女に話していたからなのかな。

わからない。でも季節の変わり目に、私と彼女を取り巻く関係は大きく変わってしまった。それはもう後戻りできない一方通行の道に思えた。

 

私は醜い人だから、彼女のことを思いっきり傷つけることだってできる。彼女に酷い言葉を浴びせたりすることだってできなくはない。でも、そんな惨めな自分を想像したら、余計に悲しくなってきた。私はこんなところでも、彼女ではなく、私のことしか考えていないんだ。

 

彼女と撮った写真は捨てた。ポラロイドカメラで撮った写真。彼女が微笑んでるのを見て、私はこの先、またこんなふうに人と深く関われるのかなと思う。人のことを結局は傷つけて、いつもそうだ。「ごめんなさい」って素直に言えればよかったけど、そんな単純なことができない。

 

その日はベッドに倒れ込むように眠った。クラフトビールごときで酔った。

夢で彼女のことを思い出した。笑顔で私のことを見て、カメラのファインダーを覗いていた。なんだか、全部失った気持ちになって、朝目が覚めたときには静かに涙が流れていた。

私は彼女を失ったことが悲しいのか、それともそんな惨めな自分を悲しんでいるのか。鼻を啜る音が虚しくて、悔しい。こんな自分、ってまた思った。

 

the sea (I can hear her breathing)

ぐしゃぐしゃになったレシート。消えかかった日付の刻印。珍しい名字の担当者。

そこは海が近くて、水の透き通る音がした。彼女は彼女にしては珍しいイエローのワンピースを着ていて、テラス席に腰を下ろすと、すぐにその海の水平線の彼方を見つめた。

僕が好きなアンチョビが乗った少し大ぶりなピザと、トロピカルフルーツを使ったモクテルが木製のテーブルに並ぶ。僕らはそのピザを分け合いながら、談笑をし、そしてまた海を眺めた。

 

異国の地に住む男の子の名前。私がきっと将来一生会うことがない人。でもどこか親近感がある。

私はこの海を眺めてすぐに、私が幼い頃生まれ育った街の海を思い出した。

そこでも海沿いには何軒かの小綺麗なレストランがあった。あの街の海から私はよく遠くの世界に思いを馳せていた。どこかの国の知らない男の子と、私はきっとどこで知り合って、仲良くなって、そして結婚して。そんな夢をよく見ていた。

太陽の光が傾いてくると眩しくて、私は日焼けしてしまわないかなんて、よく気にしていたな。遠いの日の記憶。でも、どこか昨日のことのようにも思えてしまう。

 

現実のなかを泳ぐ金魚。夢のなかではしゃぐ2人。犬を連れて砂浜を歩くカップル。

リアリティとはなんだろう。僕が思い描いていた、彼女が思い描いていたリアリティとはなんだったのだろう。光が過去からの連続性のなかで現れて、進むべき道を照らしている。まるで高速道路のジャンクションのように。

僕は間違ってなんかいないと思う。ただ、時々いろんなことがとっても不安になってしまうだけだ。日常のどうでもいい些細なことが、実はこのリアリティと、この先に直結していることを僕は知っている。

そうなのだ。「僕は知っている」

だけど「僕は知らないフリをしたりもする」のだ。

 

私の夢。父と母が望む夢。彼が望む夢。街が照らすもの。なんでもないものにスポットライトが当たる。

私は夢ばかり見ている子どもだった。周りの男の子ではなく、周りの女友達でもなく、いつも本ばかり読んで、そしてたまにこんな海辺に一人で来て。私は何を「望んでいた」のだろう。そして、私は何を周りに、世界に「望まれていた」のだろう。それは昔と今で変わっているのだろうか。変わってしまったのだろうか。

そろそろ折り合いをつけないといけない。私と、それ以外の他者(the others)との折り合いだ。

 

帰り際、海沿いを車で走り抜ける。どこまでも広い海には終わりがないように見える。

でもそこにも終わりがない、なんてことはないんだ。始まりがあるのならば、終わりだってある。

地元放送局のラジオを選んでみると、聴いたことがないボサノヴァが流れてきた。

長旅に少し疲れたのか助手席の彼女は眠そうな顔をしていた。音量を少し下げ、僕は次の目的地へと急いだ。

Psychedelic Afternoon

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she said, she was, I am.

①She said she thinks I can be a better girl.

「とりあえず、抱えていた色々なことが落ち着いたみたいで良かったね」と僕は言った。彼女は「ありがとう」と一言つぶやくと、しばらく黙った。

僕は自分の手元を数秒眺めたあと、店内をなんとなく見回した。それでも彼女は口を開かなかったが、ふいに「私はもっと良い女の子になれると思う」と言った。

彼女は僕から見て、少なくとも悪い女性ではなかったし、そもそも悪い人間ではなかった。しかし、彼女自身は今回の一連の厄介事のせいで、ひどく自信を失っていた。

「良い子になんてならなくて良いよ。というか、そんな必要ないじゃん。」と僕が言うと、彼女は目つきを変えて、怒り出した。

「あなたは何にも分かっていない。私が抱えていたことも、私が思っていたことも。何一つ分かっていない馬鹿なの?どうして、私がもっと良い女の子になれると思う、なんて言葉を口にしたか、分からないんだね。」

僕には分からなかった。なぜなら、彼女が言うように僕は馬鹿で、ベターになり損なった男だからだ。彼女の曖昧さは、より複雑なコンテンツを内包していたのだ。

いろんなものが見つかってよかった

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②She said that the girl was actually hated by everyone.

「あなたは彼女のこと、何にも悪い人だとか、癇癪持ちだとか思っていないみたいだけど、実際のところ、彼女はみんなから嫌われているの。」とその人は言った。

僕にはその人の言うことがよく分からなかった。彼女はたしかに正直な人でもなければ、素直なタイプでもなかった。少し理屈っぽかったし。

しかし、僕は彼女が悪い人だとか、そういうふうに思ったことは一度たりともなかった。あるいは、僕が世間知らずや、お人好しなのかもしれない。

彼女は自身の指先のジェルネイルをちらりと見たあと、僕の指先を同じように一瞥した。

「男の子から見たら、彼女は良い子かもしれない。少しだらしないところとか、なんというか独特の空気感があるところとかね。でもね、同性から見たら、それはテリトリーの外側に外れた人っていうか、とにかく仲間意識を感じられないの。だから、彼女はあんまり周りから好かれていないし、友達もあんまりいない。」

「まあたしかに、そういうところはあるかもしれない。」と僕はつぶやいた。

人というのは、私はこういう者ですと表明したところで、それを左から見るか、右から見るか、斜めから見るかで、全然見え方が変わってしまう。ダイヤモンドのようにどこから見ても輝いているなんてことはない。だから僕から見える彼女は、他の人から見る彼女とも違って見えるはずだ。

「まあ、あんまり深く関わらないほうが良いよ。友達だからそう言っておくだけなんだけど。」

君と僕と彼女のこと

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③After all, I had no idea what she was thinking.

結局のところ、他人のことなんて、どこまで考えたって分からない。僕は「分かりあえないという理解不能性のみ、我々が唯一分かりあえること」という考え方にすごく納得がいく。しかし、だから僕は誰かのことを考える必要はないとか、自分のことだけ考えていれば良いということにもならない気がする。

文字通り、僕はI have no ideaだし、この先もI had no ideaだろう。彼女自身が複雑なコンテンツを内的に抱えている可能性についてもなんとなくイメージできる(つもりでいる)し、そういった彼女を批判する、嫌いな人がいるのもなんとなくわかる。

僕らはときに接近し、ときに分かりあった、お互いが理解できたと錯覚する。しかし、互いを包むベールのようなものは剥がせない。時間をかければ解きほぐせるとか、長い間友達でいれば、長い間恋人でいれば、結婚すれば、なんていう「○○すれば」は全部嘘だろう。

しかし、僕らは事実が知りたいわけじゃない。そういう優しい嘘をつきたくなる動物だ。だから、時間が経てば、きっと彼女も僕も、もっとベターな人になれるかもしれない。そのとき、それはベターな男の子や女の子ではなく、ベターな人間でしかありえない。というか、そうあるべきだ。多分。

PINK BLOOD

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