Prune.

好きなことを好きなだけ。

Before sleeping,

本を読みながら、あるピアノの曲を聴いていたら、ここ数年の記憶みたいなものが頭のなかを行きつ戻りつして、なんとも言えない気持ちになった。

いろんなものの切片のようなものがあるとして、その切れ切れが全体そのものより大切だと思う。全体の完全な記憶より、一瞬の不明瞭な記憶の方が良い気がする。

音とか匂いとかそういう五感の要素って、意外とはっきりと覚えていて、それらはいつも記憶を補強してくれる。

そして、あの時の何気ない記憶とか、そういうのを呼び起こされるのはやっぱり夜で、それも真夜中で、リラックスしているときとか、考えごとをしているときとか、そういう時間で。お昼はクリアに物事を考える時間だとしたら、夜はふんわりと、スポンジの上を撫でるような感覚で、物事に触れる時間だと思う。

考える、と、触れる、は違う。考えることは、もっと体系的で整った行為だけど、触れることは、もっと漠然として曖昧模糊で、分散的な行為だろう。

美味しい苺のショートケーキのスポンジに綺麗にフォークを入れて食べていくのが、考えることだとするなら、丸ごと口に頬張ってしまうのが触れることだ。

結局、ケーキだって食べる前の方が(人気のケーキを買うために並んでる時間だとか、―僕はケーキを並んで買ったことはないけれど―それを家まで持って帰る時間だとか)食べた後よりも幸せなんじゃないか。知る前より知らないときの方が楽しいんだろう、何事も。

数年前には楽しかったことが、今では楽しいと思えなかったりということが最近ある。歳を重ねるとそういうことが増えていくのかと思うと、とても嫌な気分になる。

寝る前に音楽を聴く。そのピアノの音色が流れると、またいろいろなことを思い出す。断片的な記憶。