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手紙とLINEとその向こう側: この時代に僕らが"手紙を書く"理由

湯船に浸かりながら考え事をしていて想ったこと。ちょっとタイトルは長いけど、単純に言えば手紙とLINEって何が違うんだろうっていうこと。

手紙、Eメール、LINEと、テクノロジーが進化するにつれてどんどんと人々の「伝える手法」は変わってきました。多くのコミュニケーションはLINEで済ませることがとりわけ学生の間では標準化されている現代に、あえて手紙を書くことの意味は何なのか。

僕の好きなモデルさんの1人に、前田エマさんという方がいます。エマさんはモデル活動の傍ら、手紙で友達や恋人に何かを伝えるということをもっと楽しもうといった趣旨で「Fluff」というプロジェクトを展開されています。

エマさんは「手紙は私に教えてくれる 私の心を教えてくれる」と締めていますが、この時代に手紙を書くということの価値を再認識するのも僕は悪くないことだと思うんです。

例えば簡単に手紙とLINEの違いを考えてみたとき、真っ先に思い浮かぶのは「時間」の違いです。LINEは送信ボタンをタップしてしまえば一瞬で相手にメッセージが届くほど即応性の極めて高いツールです。既読という仕組みもあるので相手が読んだかどうかも簡単に分かる。ちなみに、世界的に人気なメッセンジャーアプリ、WhatAppでは既読時間まで分かってしまうという。世界的に見ても、世の中的に時間にシビアな伝える手段が重宝されていることが分かります。

一方の手紙はどうでしょうか。手紙は基本的に相手のもとに届くまで、ポストに投函してから1日以上はかかります。海外ならそれはもっとかかってしまう。それに加え、LINEならその場でスマホさえあればすぐに送信できますが手紙の場合、便箋を選んだりペンを用意したり、宛名を綺麗に書いたりと下準備に結構な時間がかかってしまいます。前者と比べるとその面倒さ、手間のかかる程度はかなり目立つものです。

でも「意志」という概念から違いを考えてみたらどうなるでしょうか。LINEは簡単に時間をかけず送信できることから、それほどの意志はユーザーに要求されません。頑張って書かなきゃ、しっかり推敲しなきゃという意識もかなり希薄です。間違っていたら後から訂正すれば良いし、最悪訂正しなくても分かってくれるだろうという程度のコミュニケーションツールです。

だから、LINEは大切なことを人に伝えることには向きません。結婚式や葬式の出欠届けをLINEで取るでしょうか。近しい人ならいざしらず、人が亡くなったことをLINEで公に伝えるのはやはり非常識です。

手紙はどうでしょうか。手紙を書くことはLINEを送ることよりもかなり時間がかかるので、普通に考えればそこにはLINE以上の強い意志が要求されるといえます。ここでいう意志の強さとは、相手に何かを伝えようという気持ちの大きさのことです。送るのに時間がかかるということはそれだけ時間をかけても相手に伝えようとする強い気持ちがなければできないことではないでしょうか。こう考えると、意志という点において手紙はLINEと比べ優位性を持っていると言えます。

さて少し話はそれますが、昔の文豪の手紙が死後発見されて広く世に公開されることがしばしばあります。当事者にしてみれば赤っ恥もいいところですが、そうした手紙にはとても感情的で親しい気持ちが現れていることが多くあります。

例えば芥川龍之介。彼が当時の恋人に書いた手紙になんて「僕は文ちゃん(恋人の名前のようです)がお菓子なら食べてしまいたいくらい可愛く思うのです」なんて趣旨のことが書いてあるんですから。自分が芥川の身だったら、こんなのとてもやりきれないですね…笑

次に「筆跡」について。当然のようにLINEをはじめとするデジタルの「伝える手法」には基本的に筆跡が存在しません。キーボードを利用して文字を打っているので、その個人の性格が表れるとされる筆跡が見えないのです。

でも手紙は違います。パソコンで打たない限りは個人の筆跡がその手紙のイメージを大きく形作っていくのです。綺麗な字の人、大きな字を書く人、小さな細かい字を書く人、可愛らしい字を書く人…十人十色の筆跡がその手紙を彩ります。そんな手紙の文字を見ていると相手の気持ちが伝わってきて、なんだか良いなあと思いませんか。

こうやって比較していくと、なんだ手紙も悪いものじゃないなと思われた方も多いのではないでしょうか。僕は手帳を持たずスケジュール管理も全てスマホでやるようなデジタル派の人間なんですが、手紙に関してはやっぱり良いものだなあと思っています。本もそう。Kindleを持っているので電子書籍も読めますが、やっぱりページをめくっていく感覚が好き。本好きならきっと分かるのではないでしょうか。本を読みながら寝落ちするのが最高に幸せという話もよく聞きますが、Kindleを読みながら寝落ち…だとなんだか格好悪い。スマホ使いながら寝ちゃったみたいな感じです。

他にもラブレターはやっぱりいつまでもレター(手紙)であるから素敵なのではないでしょうか。映画などで気になる相手の机のなかや靴箱に手紙を入れるというシーンはよくありますが、ここからも何かを伝えるということへの強い意志が感じられてLINEより良いなあと思います。やっぱり手紙にはその人の意志、気持ちが大きく表れる。

伝えるということの重みを考えてみたとき、手紙からはその厳粛な重みがずしりと感じられます。何かを相手に伝えたい。それは感謝の気持ちであったり、愛情であったり、はたまた苛立ちや憎悪かもしれない。それらの感情の高まりは手紙という手段を持ってしたときのみ減退することなくストレートに伝わると思うんです。

LINEはたしかに便利なツールです。でも本当に何かを伝えたいという強い意志を必要とするときに不向きなツールであることは確かではないでしょうか。

手紙という効率も悪く、時間がかかる「伝える手法」を使ったときにだけ、相手に伝わる何かはきっとあると思います。その何かをじっくりと考えながら相手のことを思う。手紙を送る先の家族や友達、恋人、恩師…のことを考えながら文をしたためる。そんな時間はきっと素敵なものになると思います。