Prune.

好きなことを好きなだけ。

【短編小説】なんにも得られないこの街で

 ▼Homecomings「Blue Hour」に最大限のオマージュを。

Blue Hour

Blue Hour

  • Homecomings
  • ロック
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

なんにも得られないこの街で。なんでもあって、なんにもないこの街で。

分からない正体不明の人が、この人は無能だとか、この人はいけ好かないとか、この人はすごく良いとか言っている。誰も本当のこの人のことなんて、分かっていないのに。

そもそもこの人はどこから来たのだろう。そんなこと、どこの誰が知っているのだろう。

 

もし僕が秘密を君に伝えるのなら、どんな秘密が綺麗だろう。どんな秘密が格好良いのだろう。

夜のこの街、高速道路の灯りがその下を歩く僕たちのもとにも届いていて、そのオレンジの光は何にも増して綺麗だった。道は繋がっていても、遠い僕らの知らない街の知らない人たちのところにも繋がっていても、僕はそこに辿り着けない。君もきっと辿り着けない。

ほのかな初夏の香りが漂う街を想像して、僕は例えばアイスクリームを買ったりして、君は途端に遠い昔のある夏の日のことを思い出したりする。遠い昔がつい昨日のことであったかのような顔をして、君は昔を思い出す。その想い出に現れる、アイスクリームと水色の浴衣。線香花火の火が消えた瞬間の記憶。

 

なんにも得られないこの街で。僕たちはただなんとなく生きている。

沢山の言葉にまみれて、沢山の顔のない人たちと共に、世界中どこに行っても同じ、夜の街を漂うこの感情を抱いて、僕たちはなんとなく生きている。

ブルーベリーヨーグルト味のアイスクリームと、子どもたちの笑い声と、失われたはずの真夜中のプールの水と、500mlボトルに入ったミネラルウォーターの残りを抱えて、僕たちは薄明かりの中、夜の街を歩く。

なんにも得られないこの街で、何か確かなものを得たいから。僕らはあてもなく歩く。

もう動かなくなってしまったものや、忘れ去られたものたちを捨て去ってしまわないように。それらが再び輝き出すように。

【短編小説】SUNDAY SONG / SHE SUNG

▼Richard Beirach「SUNDAY SONG」に最大限のオマージュを。

SUNDAY SONG

SUNDAY SONG

  • リッチー・バイラーク
  • ジャズ
  • ¥200
  • provided courtesy of iTunes

日曜日の朝、彼は買ったばかりの飲むヨーグルトを捨てる。

彼は別にヨーグルトの味に不安があったわけではなかった。ただ、その飲むヨーグルトを飲んでいる自分に嫌気が差しただけだ。

何をしても追いつかない。追いつけない。彼は焦っている。飲むヨーグルトはそんな彼の気晴らしにもならない。

ほのかな(しつこくない)甘みが好きなのに、そのヨーグルトは彼の脳を直接刺激するような過剰な甘さで仕上げられていて、それがとりわけ彼の癪に障った。

「過剰」を仕立てる、物質。「過剰」を表象する、記号。「過剰」の海に溺れる彼。

偽物のゲームで勝利しようとする彼は、過剰の海に溺れ、虚構の記号ゲームにおけるプレイヤーとしての自己を提示しようとする。

彼にとっての日曜日は、安息日でもなく、ただの過剰な曜日であった。

なんの予定もなく、社会的な時間軸から外れた自己を憐れむ日。ソシエテという外部にある、複数の主体との交流もなく、ただ虚構世界の中で自己を演じる日。

日曜日に彼が聴く曲は、いつもピアノジャズだった。そこには過剰さがなく、ソシエテの外部性を表象する要素も存在しなかった。ただピアノの音色が響き、ピアニストという存在が宙に浮くような楽曲。ピアニストという演奏者と彼という視聴者が分離せず、一体化した空間を創造するような楽曲。

彼はそういうピアノジャズが大好きだった。

日曜日はどんな日であるべきだろう。彼にとっての日曜日はそんな日でも、遠くの彼女にとっての日曜日は全く別の日かもしれない。

例えば、ヘルシンキに住む彼女は毎週日曜日に歌を歌う。70年代の往年の名曲を。

彼女はまだ10代なのに、70年代の名曲なんて歌うから、周りの人たちは彼女をとても珍しがる。

ヘルシンキの静かな住宅地の一角に、彼女の歌声は響く。美しきフィンランド語。

彼も彼女も、何かをきっと求めてそういう行為をしているのだろう。

歌っていると気持ちが良いとか、ピアノジャズを聴いているときだけは、現実を忘れられるとか。

日本と遠く離れたヘルシンキで同じように、日曜日を過ごす彼と彼女。グローバリゼーションという言葉のなかで、彼と彼女の行為はどこかで繋がっている。

オンラインでもオフラインでもない世界の人々の日常。その連関、その接続、あるいは、分離。

そんな遠くに思いを馳せると、遠くの美しさが見えてくる。近くから遠くへ。遠くから近くへ。いずれは、その往還の運動へ。

【短編小説】We Never Know

 ▼HAIM「You Never Knew」に最大限のオマージュを。

You Never Knew

You Never Knew

  • provided courtesy of iTunes

高速道路に沿って続く、いくつかのマンションを眺めて。

沢山の部屋に灯りがついているのに気づくでしょう。おそらくそれは暖色で、ちょっとオレンジっぽくて、少し質の良さそうなカーテンがかかっていたりするでしょう。

多分、そこには子どもたちがいて、優しいお母さんと少し帰りが遅いお父さんがいたりするでしょう。シチューを食べるのか、カレーを食べるのか、あるいは、買ってきたお惣菜を食べるのか。

「私はカレーが良いな。昔からシチューってなんだか中途半端で嫌いだったの。」と彼女はつぶやく。

「僕も嫌いだったよ。白いカレーなんてのも食べた気がする。それもやっぱり中途半端なものだね。」

僕はそう言ってみる。

視点を上から下に戻して。今歩いているのは、そんなに広くない歩道。僕が車道側を歩いて、彼女がその隣を歩く。車が何台か向こうからやってくる。先頭はアウディ、次はランドローバー。

僕らには遠い未来が見えない。いや、近い未来も見えないでいる。明日は何をしているのか、明後日はどうやって生きているのか。何も間違いなく過ごしたとしても、明日は見えない。

多分、誰もが気づいていないことというのが世の中には沢山ある。明日、突然いろんな物事が変わってしまうこととか、価値観が一変してしまうこととか。そんなことあるはずないって思うでしょう。けれど、ないとも言えないと思うんだ。

彼女は僕がこういうことを考えながら、不安を覚えていることをきっと知らない。

僕は彼女にいろんなことを話す。意外と沢山話すのだ。けれど、それは表層を探る旅のようなもので、あるいは、長いプロセスを割愛し結果だけを報道するテレビ番組のようなもので、本当のことは案外伝わっていないのだ。いや、本当のことなんて、本当はないんだけれど。

僕はたしかにシチューが好きじゃなくて、昔白いカレーを食べた記憶がある。

けれど、結局それだけだ。なぜシチューが好きじゃないのかということや、白いカレーを食べた僕がどんな感情を抱いたのか、そこにどんな想い出があるのか、についてはおそらく語ることなどないだろう。いや、語ることは許されていない。

隣を歩く彼女の顔にはどことなく不安の色が被さっていて、僕はそれに気づかないふりをしているのかもしれないし、本当は不安であるという僕の予想自体が根本的に間違っているのかもしれない。悲しいのかな、本当は。

彼女は自分なりにいろいろ考えているだろう。他者という存在における不可侵領域。忍び込もうとすると扉を閉ざされる部屋。僕にも同じようにそれはある。

また何台かの車が僕たちの横を通り過ぎていく。今度はミニとシトロエン

遠くのマンションの暮らしはきっと明日も変わらないだろう。遠いものは変わらない。というより、変わらなく見えるのだろう。遠い場所の遠い暮らし、感情の交換、シチュー、あるいは、カレーの香り…。すべては理想的で、静かに形作られ、僕らの前に時々現れる。蜃気楼のように。

「じゃあ、今日の夜はカレーで良い?」と彼女は訊ねる。

僕は「うん、そうしよう。」と一言答える。

僕たちはなんにも知らない。明日も明後日も、おそらくその先も。We Never Know (but also we don't have to try to know.)