Prune.

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【超短編エッセイ】A to B to somewhere


Peter Peter - Conversation

やれコロナ禍だ、緊急事態宣言はいつまで延びるかなどと、まくしたてられる日々。本質的に重要なことはなにか。エコノミカルに?リアリスティックに?PV至上主義的に?

未開の地に足を踏み入れる冒険家のように、慎重に。あるいは、よく当たると巷で話題の占い師が語る未来予測のように、大胆に。そんな区分自体が間違っている可能性も考えたい。

これ以降の未来はどうなりますかと問われ、世界は一変しますね、だとか、9月入学のグローバル・スタンダードに合わせるべきです、などと答える。あらかじめ検討されうる、そして妥当そうな(相手の求める)答えを提出する。このような緊急事態においても、何らかの適切で妥当性の高い意見を提出することが要求されるだろう。

しかし、適切で妥当性の高い意見とはいったい何なのだろうと問う。そもそも我々が知り得ていること、考えられること、想定できることは、せいぜい今日の夜ご飯程度なのだ。

妥当性はどのような基準によって算定される?適切あるいは不適切は何によって決定される?決定できず、回答もできないという回答は不適切なのだろうか。

いろいろなクエスチョンマークが浮かんでくる。

ポール・ゴーギャンのあの作品のように、我々が今問うべきことはこれだけだ。

"Où allons-nous?" (我々はどこへ行くのか?)

そしてその答えは、きっと温泉の湯けむりのような見えないベールを越えた先にある。