Prune.

好きなことを好きなだけ。

言葉で伝える / 伝わるということ

この人はどんな風景を見たのだろう、だとか、この人はどんな思いをしたのだろうと思う。目の前で向かい合って話を聞いていても、言葉から伝えられるその風景や思いは、リアリティを欠く。むしろ純度の高いリアリティを求める姿勢自体が間違いなのかもしれない。

言葉から構築される風景や思いは、僕が作り上げるものだからだ。

例えば、沖縄で見た美しい風景について僕に話してくれる人がいたとして、その言葉から僕が想像する風景は僕の過去の経験に依存する。

僕が沖縄に行ったことがあれば、それは過去の僕が沖縄で見た景色と限りなく近いものになるかもしれないし、逆に沖縄に行ったことがなければテレビ越しで見た括弧付きの「沖縄」を思い浮かべるかもしれない。

言葉で何かを正確に伝えることには限界がある。相手の言葉から思い浮かべたそれは、僕が作り上げる想像の産物でしかない。

だけれど、僕はそれがとても悔しいと思う時がある。

全力の想像力をもってしても、僕は今向かい合っているその人が見たであろう美しい景色や思いを100%で受け取ることはできない。その人がどんなに僕にその美しさを伝えようとしても、それは正確には届かない。その人が感じた美しさは、その人の感性が引き起こした美しさであって、僕の感性が引き起こす美しさとは違うからだ。

距離は近くても、どんなに相手の心を知ったつもりになっていても、それは他者でしかあり得ず、どんなに万能な言葉を使い、的確に表現しても、デコーディングには限界があって100%は伝わりきらない。

そんなことを思うと、ちょっと悔しい。いやとても悔しい。同じものを共有しているつもりが、どこか別々のほうを向いているような、そんな感じがするから。