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Travel Diary: UCバークレー留学記 (1) [初日から想像を絶する環境で…]

Twitterでは既に何度も書いているし、写真をちょくちょく上げたりしているから今更あらためて書く必要はないと思うけれど、7月はじめから8月終わりごろまで米カリフォルニア大学バークレー校(University of California at Berkeley)で留学をすることにした。

それほど書くことはないだろうと思っていたが、初日から想像を絶するようなアクシデントに遭遇し、滞在2日目にして既に書きたいことが沢山できたので留学記のような形で日記を書くことにした。どれくらい続くかは分からないが、あらためてこう書いていると、なんというか自分は書くことが好きなのだと実感する。

色々と先行き不安なことが多くて部屋にいても落ち着かないのだけれど、何か文章を書いているとすごく落ち着く。街に出ると英語が思うように通じなかったり、言いたいことが言えなかったり、ヤバそうな浮浪者とかが居たりするので緊張感が拭えない。黙って部屋にいても帰りたくなるだけだし、何か作業をしていないと落ち着かないのだ。

そういう気持ちの中で文章を書くというのは自分にとってすごくリフレッシュになる。落ち着いて何の苦もない状況で書く文章が良いとは限らないし、こういうときに書く文章もそれはそれで、そこそこの出来に落ち着くかもしれない。

駄文になるかもしれないけれど、とりあえず継続して書いていけたらと思っている。

■初日 (7/3 Sun)

Welcome to San Franciscoの文字がでかでかと踊るサンフランシスコ国際空港(SFO)の入国審査前の通路。成田空港→桃園国際空港→サンフランシスコ国際空港と乗り継いできたけれど、成田空港が一番立派だった気がする。成田にはユニクロTSUTAYAスターバックスも入っていて空港で一通りの買い物はできるなと思った。

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入国審査ではバークレーで履修するコースや帰国予定日などを少し聞かれただけであっけなく終了。Next!と叫ばれ、審査官がすごく高圧的な態度で色々難しい質問をしてくるのではないかと勝手に想像していた自分としてはあっけなくすら感じた。ただ、自分のレーンの審査官が単純に優しい人だっただけなのかもしれないし、本当のところは分からない。

写真はサンフランシスコ国際空港の入口前で撮影。雲一つない青空。日本ではなかなかこんな快晴に出逢うことはできないなと感じた。

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BARTという電車にサンフランシスコ国際空港から乗り、約1時間半でバークレーの駅があるDowntown Berkeleyに到着。途中、MacArthur(歴史でお馴染みのGHQマッカーサーとは関係あるのだろうか)という駅で乗換をしたんだけれど、20分も待たされた挙句、自分の周りをうろちょろする人がいたのですごく不安だった。そして時間通りに来るはずもなく。日本のように満員電車はないが、つくづく日本の鉄道がいかにしっかりしているか実感した。数分遅れただけで申し訳ありませんと言うのが当たり前だと思っていたけれど、それは日本が丁寧すぎるからだということをありありと感じた。

写真はDowntown Berkeley駅前で撮影。異国情緒感がやばい。ここからLyftというタクシー呼び出しApp(Uberと似たようなもの)を使い、トラブルなく滞在先のInternational Houseへ到着。ドライバーの方がすごく優しくて、日本から来たと言ったら"すごく良いところだよね、俺の兄弟がこの間遊びに行ったんだけど、すごく良いとこだって言ってたよ!俺は行ったことないからいつか行ってみたいな…"と話してくれた。日本から来たというと、いつか行ってみたいと答えてくれる人が多いので、単なる社交辞令なのか本当に行ってみたいのかは分かりかねるけれど、母国がそういう評価を受けていると思うととても嬉しくなる。事実、日本も東京もすごく良いところなのだと渡米した初日に実感した。電車も時間通りに来るし、店員さんも親切で丁寧。こんな当たり前のことが、海外では当たり前ではない。浮浪者やホームレスを何人も見かけたし(東京でももちろん見かけるがこっちでは深刻度が違う)つくづく日本は良いところなのだと思った。

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そしてInternational House(国際学生寮)に着き、チェックイン。ここまでは良い。何の問題もなかった。しかし、ここからが全くもって理解できないところだ。まず第一に部屋が地図になかった。自分の階にフロアマップが2つくらいあるのだけれど、2つのうち1つのマップでは部屋番号が見つけられないのだ。もう一つの方には書いてあったけれど。ちょっと訳がわからない。そしてなんとか部屋を見つけて入ってみたものの、次なる問題を発見。鍵がかからないのだ。もう脱帽である。鍵がかからない部屋に出逢ったのは生まれてはじめてだ。ただでさえ治安が日本より悪い海外で部屋に鍵がかけられないというのはヤバいというか、カオスというか…(笑)

急いでフロントに相談したところ、明後日に修理しますとの回答が。なぜ明日では無理なのかと聞いたら、"明日は建国記念日でみんな休みだから"とのことだった。日本は祝日なんてあってないようなもので、祝日でもお店は普通にやっているしサービス業などなおさら休みになんてならないけれど、ここはアメリカ。国が変われば、日本では…なんて言っていられない。郷に入りては郷に従えという言葉がある。しぶしぶ分かりましたというしかなかった。

鍵のかからないセキュリティ皆無の部屋に入り、ボッーとしていたら日本に帰りたい気持ちが高まってきた。日本ではこんなことあり得ないし、部屋に落ち着いていられないじゃん、どんだけアメリカ適当なんだよ、帰国したい…の感情のループ。渡米前までは期待と不安という言葉より期待の方が大きかったが、渡米して早々帰りたくなるのだ。自分の安直な考えがすごく馬鹿に思えた。

ふと夏目漱石が渡英としたときは不安じゃなかったのかな…とか川端康成ノーベル賞受賞式のとき着物で登壇していたな…とかどうでもよいことが頭をよぎる。Google Mapの地図を見て日本までめっちゃ遠い…とか思ってしまって、ああ簡単には帰れないなと実感する。軽いホームシックみたいな気分とはこういうものなのかなと思った。上京したときもホームシックなんて感じたことがなかったので渡米しても大丈夫だろと思っていたけど、そうではなかった。やっぱり言葉が上手く通じないのが一番辛い。何の苦もなくコミュニケーションできたらそれほど辛くないだろう。にしても、鍵がかからないのは困ったものだ。

そして、これだけで終わっていたらブログを書く気にはならなかったかもしれない。次なる問題はコンセントが使えないという。コンセントにプラグを刺してもうんともすんとも反応しないのだ。どうやらコンセントが死んでいるらしい。急いでフロントにまた交渉しに行ったが、返されたのは前回と同じく"明日は無理だから、明後日ね"という回答。電源なしでいったい何をすれば良いのか。電源も使えないなんて、発展途上国よりシリアスな状況だ。幸い友人が先に来ていたので、そこで電源は借りることができそうだけれど、コンセントが使えないと分かったとき逆に笑えてきた。人は本当にヤバい状況に遭遇すると笑ってしまうと誰かが言っていたような気がするが、まさしくそのパターンだった。もうどうにでもなれ的な気持ち。カリフォルニアと言えば有名な曲でEaglesのTake It Easy(気楽に行こうぜ)という曲があるが、その気持ちだ。ただTake It Easyと言われても、日本での生活に慣れきってしまっている自分にとってはとてもTake It Easyではいらなかった。残念ながら。

同じカリフォルニアの音楽でも、今の気持ちはFoster The Peopleが作る楽曲の類に近い気がする。Ask Yourselfでも聴きたい気分だった。

不安な気持ちを抱えながら、1ヶ月くらい先に到着している友達と部屋でここはアルカトラズ島かとジョークを言い合っていた。ちなみに、アルカトラズはサンフランシスコにある元刑務所として使われた小さな島。堀江さんの自伝にある入獄したときの部屋のことを書いた一節を想い出した。留学先の寮でまさか監獄のことを書いた本の一節を思い出すとは。あまりに皮肉すぎる。

ゼロ―――なにもない自分に小さなイチを足していく

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本音で生きる 一秒も後悔しない強い生き方 (SB新書)

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取り外せないものすごく不便なシャワーブースでシャワーを浴び、部屋に戻ってからはYouTubeを観ていた。

飛行機の座席についているモニターで観れる映画でまともそうな映画がorangeと海街diaryしかなくて、その上海街diaryは映画館で観た上に再度レンタルもして観ていたので、機内ではorangeを選んで観ていた。隣の座席のアメリカ人がハリウッドのアクション映画を観ているなか、こっちはバリバリの青春映画でギャップがものすごかったが、普通に良い映画だった。実は最後まで観きれなくて、オンラインで続きを視聴できないかなと思ったが、見つけられなかった。せっかく半分以上観たのだから続きも早く観たい。土屋太鳳も可愛かったし。

気づいたらいつの間にか寝てしまっていた。二度寝して起きたのは翌日の12時。特に予定はなかったので良かったけれど、これで授業があったらと思うとぞっとする。日本に一時帰国していて、またサンフランシスコに帰らなきゃ、チケット高いな…という夢を見た。目を覚ますと自分はやっぱりアメリカにいて、鍵もかからない上に電源も使えない部屋に1人。絶望の起床だった。やっぱり帰りたいのかな自分は、と思った。

せっかく両親にお金をかけてもらって、行ってくると沢山の友達に言っておきながら、帰りたいでは全く示しがつかない。なんとかしなければ。でも帰りたい。嫌な感情のせめぎあいでベッドからなかなか離れられなかった。

 

今日のこと(7/4 Mon)も書きたかったけれど、長くなってしまったので今日はここまで。明日は初授業もあるので、早く寝なければいけない。と言っても既に0時は過ぎてしまった。ヘッドが固定された謎の使いにくいシャワーを浴びて明日に備える。