ケトルのフレーズをパクったかのような記事タイトル。っていうか実際パクった。
今日は、最近ハマっているアーティスト"綿めぐみ"のお話を少し。自分は作家の"綿矢りさ"も好きだから、綿に何か縁があるのかな…なんて勝手に思っていたり。思うだけなら自由だし。
ちなみに、綿矢りさの作品だと、"夢を与える"が一番好き。芸能界の第一線で活躍する女の子がどんどんと失墜していくというー。読んだのは1年以上前なんだけど、僕の中でのその女の子のイメージには今考えると"橋本環奈"が一番しっくり来る。もちろん、彼女は失墜したりしてないし(先日公開された映画で主役も演じられているみたいだし)今後もしないで欲しいけど。ちなみに、この作品がドラマ化されたときは"小松菜奈"が主役の女の子を演じた。うーん、ぶっちゃけ小松菜奈はちょっと違うんじゃないか。
でも幼い頃に成功して、上り調子だったのに一気に転落していくアイドルや芸能人というのは昔から一定数いる。文春のようなジャーナリズムの存在は、社会の正義を守っているのか、人の人生を踏み潰しているのかよく分からないけれど、芸能人でいることも大変なんだなと思う。ベッキーとゲスの極み乙女。の川谷絵音の件やショーンKの例みたいに自業自得な場合が大半だけど。にしても、どこからが社会的に許されないラインなのかというのは判断が難しいところ。
例えば、乃木坂46の"松村沙友理"の不倫報道のときにもファンがブチ切れたりとか握手会で罵声を浴びせたとか色々あったみたいだけど、あれは自分が応援しているアイドルが他の男性と特別な関係を持っていたというところが問題なのか。つまりアイドルはどこまでもIdol(偶像)でなければいけなくて、そこにパーソナリティとして基本的に含まれる人を好きになる気持ちは排除されなければいけないのか。
素の誰々が見たいとファンはみんな思うけれど、本当の意味での素を出してしまうということは、ある種の"触るな危険"的な危うさをファンが見てしまうという可能性があるということ。本来大多数の人たちにとって(とりわけアイドルくらいの年齢の人たちにとって)普通に可能な恋愛までもアイドルであるということは奪ってしまうのか、という話になると思う。
それは社会一般にアイドルは清廉でなくてはいけないという認識があるから、それ故に社会で彼女の起こした一連の事案は許されなかった(叩かれた)のか、とか。そもそも、恋愛しなければ清廉だというのもなんか違うんじゃないかなと感じたりも。
まあ単純に結果的に不倫という扱いになってしまったから、より批判されたというのもあるかと思うけど。アイドルを応援しているファンにとって、そのアイドルが他の特定の男性と恋愛関係にあったということがどういう理由で共通悪になるのかということは考えてみると少し面白いかもしれない。でも今はそういう話じゃないので、このあたりで。
さて、話は戻って"綿めぐみ"ー彼女の音楽の魅力は、簡単に言えば渋谷系のクオリティの高いサウンドと特徴的な声、そしてちょっと斜に構えた歌詞に尽きる。もちろん、容姿が可愛いというのもあると思うけど。(実際彼女はメディアでも美少女って取り上げられているけど、そこは音楽のウリとは関係ないところだと思うのでこの記事では特に触れない)
トラック自体はどの曲もすごく洗練されていて、生き生きしているし、万人受けする感じではないけど渋谷系や泉まくらやDAOKOなど女性ヒップホップの楽曲が好きな方にはお薦めできる。
声は、簡潔に言えば"南波志帆"的。かわいさと透明感を持った声。アニメ声などとはまた違うが、うーん形容が難しい。直接聞いたほうが早いと思う。
そういえば南波志帆の久しぶりの新作アルバムが4月に自身の新レーベルからリリースされるということで、先日先行トラックがYouTubeにアップされていた。実際に聴いてみたが、正直に言うとちょっと残念。
作曲陣が変わったからだろうが、今までの渋谷系のグルーヴの効いたサウンドからは少し離れて、より爽やかさが強まった楽曲が多かった。今作の主要作曲家であるトーレ・ヨハンソンの影響かと思うが、僕的には引き続き宮川弾とかそのあたりの人たちをもっと選んで欲しかったなと思う。トーレ・ヨハンソンだから、The Cardigansみたいになるのかなと。
渋谷系の声優でお馴染みの"花澤香菜"の最新トラックも、空気公団の"山崎ゆかり"が作曲を手がけたということで、爽やかめの路線に。んー爽やかな音楽も好きなんだけど、80s的なサウンドの深みももうちょっと欲しいかなと思うところもある。
要はもっとシンセとか使って、アコースティック路線から離れろっていう話になるんですが。これは個人的趣味なので何とも言えないけど。僕はやっぱりエレクトロニカとか、電子音楽が好きなのでそういう系統をいつも期待してます。
さてまたまた話が逸れてしまった。
綿めぐみは、歌詞にも注目だ。最新アルバムの表題曲"災難だわ"の歌詞なんか実に面白い。"だいたい汗水たらしてエルメスなんて、もう幻想でしょ"とか"実際のんびり育ってみたけど結局競争なんでしょ?"とか。
斜に構えまくってるというか"私知ってるよ、全部"感がすごい。キュートなボーカルにアイロニカルな歌詞という相反性が、シニカルな綿めぐみの魅力をどんどんと高めていく。(歌詞は綿さん自身が書いているわけではないみたいなので、そういう戦略なのかなと)
"この際、誰が選んでも誰選ばれても関係ないでしょ、揚げ足取ったり足引っ張ったりほらまたすぐかわるんでしょ?"という歌詞は明らかに国会議員批判に思えるけど、それをこのボーカルが歌っているというところに大きな意味がある。これがラッパーとか男性ヒップホッパーが歌ったら、SEALDsのデモに使われてしまいそうだ。
どこにでもイメージというものがある。SEALDsのようなデモではメッセージ性の強い言葉をストレートに、決してアイロニカルにではなく伝えなくてはいけない。"災難だわ"に出てくる上の歌詞を綿めぐみが歌っても、それは強いメッセージにはならないし、アイロニカルだからみんなの感情を動かすものではない。
でも彼女の音楽には、そんなみんなの感情を動かさない皮肉めいた姿勢が必要不可欠なのだ。彼女の声とスタイルに強い野望やメッセージ力があったら、逆に魅力は半減してしまう。良い意味で感情を強く揺さぶらないユルさこそが彼女の魅力だ。
つらつらと適当に書いてきて、そろそろ綿めぐみの良さも伝わってきた頃だと思うので、最後にアルバムのリンクを貼っておきます。この間、タワーレコード渋谷で行われたインストアライブにも行ってきたんだけど、まだまだお客さんが少なくて20人くらいしかいなかったので、これからどんどんと人気になっていくことを期待したい。
でも綿さんの感じからして、レーベル側でも綿さん自身としてもバカ売れを狙っている雰囲気はしないので、今後も音楽好きな人たちに向けてちょくちょくと楽曲を出していくのかなと思う。別に盛大にバズるほどにはならなくてもいいので、1人でも多くの人が彼女の音楽に魅力を感じてくれたら、この記事をぐたぐた夜中に書いた意味もあるというものだ。
ちなみに、僕が一番好きなのは"モンキージョージ"という曲。これでも聴いてそろそろ寝ようかと思う。