ラブリーサマーちゃんこと、ラブサマちゃんのことを今日は書きたい。
彼女のファーストアルバムである「#ラブリーミュージック」タイトルだけ聴くと、ラブリーというフレーズからオザケンあたりを想像してしまいそう。また#はTwitterのハッシュタグを想起させる。宅録少女としての彼女、そしてネット時代のコンポーザーという立ち位置を意識させるタイトルだ。
音楽活動を始めた当初から、SoundCloudに楽曲をアップするなど、完全ネット世代の彼女。インターネットとDTMを駆使してトラックを作っていく姿勢には、新しいアーティストの姿を感じずにはいられない。
彼女の魅力は所謂ゆるふわ系のボーカルも然ることながら、何といっても楽曲のクオリティの高さ。
ものすごいセンスを感じさせるのだ。
僕の拙い言葉ではなかなか形容できないが、沢山の音楽を聴いてきたのだろう、作れるトラックの幅が広い。
「私のすきなもの」ではシンセとビートを効かせた極上のポップ・ミュージックを僕らに示してくれるし、「mis」ではイントロからカッティングの鳴り響くバンドサウンドを呈示してくれる。何よりもポップとロックを縦横無尽に横断する彼女が若干20歳だという事実を忘れてはならない。
まだまだ良い意味で発展途上の彼女のサウンドは、七変化する可能性を十分に帯びている。いや、その前兆を既に今作からも感じ取ることができる。おそらく次作では、まったく違ったサウンドで僕らを驚かせてくれるのではないか。彼女の今後の作品にも注目だ。
ちなみに蛇足にはなるが、相対性理論などは真部脩一や、やくしまるえつこの癖というべきだろうか、トラックの作り方のフォーマットが既に完成してしまっており、どの曲を聴いても同じように聴こえてしまうことがある。
もろちん、それは理論らしさということにもなるのだろうが、そこに音楽的なトラックの幅の広さは決して望めない。
それは僕の好きな中田ヤスタカにも当てはまる。彼ら、彼女らなりの王道が完成してからそれを自らの手で壊すことは極めて難しい。
その点において、くるりの岸田繁は特筆すべき存在だ。アルバムごとにコンセプトが変わり、クラブ・ミュージックからポップ、ロック、歌謡曲まで往来する姿勢は高く評価されるべきものであるだろう。
1月に3度目のワンマンライブを成功させた、彼女。次のワンマンライブの予定はまだ明かされていないが、次こそは是非ライブに行ってみたいと僕自身思っている。なぜもっと早くCDを買わなかったのか…と後悔する気持ちは少し横に置いておいて。
音楽で食べていくというのはすごく難しいことだ。それは誰でも分かっている。良い曲を作っても売れないことはあるし、優れたプロデューサを迎えて作曲してもらっても鳴かず飛ばずなこともある。
ラブサマちゃんはまだインディーだし、まだまだ多くのリスナーに知られているわけではない。しかし、彼女の絶対的な魅力とセンスの良さが創り出す音楽は今後より多くの人の耳を魅了することは間違いない。もっと売れて、近い将来メジャーレーベルで「ラブリーサマーちゃん」の名前を見る日もそう遠くはないだろう。
と同時に、僕と同じ大学生でありながらあれだけ自分のやりたい音楽を追求してしっかりとそれをサウンドに転化している彼女に尊敬の念を感じずにはいられない。
音楽は聴くのは簡単でも、作るのはとんでもなく難しい。今はアプリを使えば誰でも作曲自体は簡単にできるが、魅力のある音楽を生み出すことは誰にでもできることではない。
魅力のある音楽ー才能溢れる彼女のラブリーな音楽がより多くの人の耳に届きますように。
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