Prune.

好きなことを好きなだけ。

【短編小説】Synthétique

Tout s'embrase dans mes rêves synthétiques.

(Zarba par Therapie TAXI)

総合的で、連鎖的な、事物そのものが問いかける真実という構築物。全ては意味のなかで溶け合い、身体において統合され、文化のなかで形態を獲得する。

混ぜ合わせたアイスクリームは、様々な色をしていて、それは現実の混沌さを表象するに最も適当な存在であるように思える。事態はあまりに複雑、問題は把握され得ないほどに他の問題と絡み合っている。

Synthétiqueな問いを立てたいと思う。あらゆる問題は総合的だ。相反のなかで成り立っている。美しいのは、汚いからで、素晴らしいのは、酷いからだ。

現実的な諸問題に飽き飽きとした人々が見せる、他者への眼差しは、他者ではなく自己に向かっている。その眼差しは対象者としての他者を措定することもなく、他者に関心を向けることを意味するための眼差しでもない。

眼差しはいわば「規定」されたにすぎない。それは、自己を確認するために規定されたものなのだ。しかし、その自己は結局のところ、他者との相互媒介的な関係のなかで成立した、一過性の幽霊にすぎない。結局、幽霊はSynthétiqueな複数性のなかで一時的に立ち上がった蜃気楼のようなものだ。

Ensembleであれと、誰かはいう。集合的な身体は、Synthétiqueな問いを立ち上げ、Ensembleのなかで奏でるだろう。それは回答不可能性の中に浮かぶ問いであり、問いの答えを要求しない―より正しくは答えを要求しないことを答えとする―問いである。

光が現れてくる。朝がやってくる。真夜中の複雑性と、ある種の限界性はここで一つの終着点を迎える。終着は新たな始点になる。

Synthétiqueであること、それ自体を構築していくこと。そんなことが頭のなかをよぎっていく。Synthétiqueであることとは、何なのだろう。

【短編小説】なんにも得られないこの街で

 ▼Homecomings「Blue Hour」に最大限のオマージュを。

Blue Hour

Blue Hour

  • Homecomings
  • ロック
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

なんにも得られないこの街で。なんでもあって、なんにもないこの街で。

分からない正体不明の人が、この人は無能だとか、この人はいけ好かないとか、この人はすごく良いとか言っている。誰も本当のこの人のことなんて、分かっていないのに。

そもそもこの人はどこから来たのだろう。そんなこと、どこの誰が知っているのだろう。

 

もし僕が秘密を君に伝えるのなら、どんな秘密が綺麗だろう。どんな秘密が格好良いのだろう。

夜のこの街、高速道路の灯りがその下を歩く僕たちのもとにも届いていて、そのオレンジの光は何にも増して綺麗だった。道は繋がっていても、遠い僕らの知らない街の知らない人たちのところにも繋がっていても、僕はそこに辿り着けない。君もきっと辿り着けない。

ほのかな初夏の香りが漂う街を想像して、僕は例えばアイスクリームを買ったりして、君は途端に遠い昔のある夏の日のことを思い出したりする。遠い昔がつい昨日のことであったかのような顔をして、君は昔を思い出す。その想い出に現れる、アイスクリームと水色の浴衣。線香花火の火が消えた瞬間の記憶。

 

なんにも得られないこの街で。僕たちはただなんとなく生きている。

沢山の言葉にまみれて、沢山の顔のない人たちと共に、世界中どこに行っても同じ、夜の街を漂うこの感情を抱いて、僕たちはなんとなく生きている。

ブルーベリーヨーグルト味のアイスクリームと、子どもたちの笑い声と、失われたはずの真夜中のプールの水と、500mlボトルに入ったミネラルウォーターの残りを抱えて、僕たちは薄明かりの中、夜の街を歩く。

なんにも得られないこの街で、何か確かなものを得たいから。僕らはあてもなく歩く。

もう動かなくなってしまったものや、忘れ去られたものたちを捨て去ってしまわないように。それらが再び輝き出すように。

【短編小説】SUNDAY SONG / SHE SUNG

▼Richard Beirach「SUNDAY SONG」に最大限のオマージュを。

SUNDAY SONG

SUNDAY SONG

  • リッチー・バイラーク
  • ジャズ
  • ¥200
  • provided courtesy of iTunes

日曜日の朝、彼は買ったばかりの飲むヨーグルトを捨てる。

彼は別にヨーグルトの味に不安があったわけではなかった。ただ、その飲むヨーグルトを飲んでいる自分に嫌気が差しただけだ。

何をしても追いつかない。追いつけない。彼は焦っている。飲むヨーグルトはそんな彼の気晴らしにもならない。

ほのかな(しつこくない)甘みが好きなのに、そのヨーグルトは彼の脳を直接刺激するような過剰な甘さで仕上げられていて、それがとりわけ彼の癪に障った。

「過剰」を仕立てる、物質。「過剰」を表象する、記号。「過剰」の海に溺れる彼。

偽物のゲームで勝利しようとする彼は、過剰の海に溺れ、虚構の記号ゲームにおけるプレイヤーとしての自己を提示しようとする。

彼にとっての日曜日は、安息日でもなく、ただの過剰な曜日であった。

なんの予定もなく、社会的な時間軸から外れた自己を憐れむ日。ソシエテという外部にある、複数の主体との交流もなく、ただ虚構世界の中で自己を演じる日。

日曜日に彼が聴く曲は、いつもピアノジャズだった。そこには過剰さがなく、ソシエテの外部性を表象する要素も存在しなかった。ただピアノの音色が響き、ピアニストという存在が宙に浮くような楽曲。ピアニストという演奏者と彼という視聴者が分離せず、一体化した空間を創造するような楽曲。

彼はそういうピアノジャズが大好きだった。

日曜日はどんな日であるべきだろう。彼にとっての日曜日はそんな日でも、遠くの彼女にとっての日曜日は全く別の日かもしれない。

例えば、ヘルシンキに住む彼女は毎週日曜日に歌を歌う。70年代の往年の名曲を。

彼女はまだ10代なのに、70年代の名曲なんて歌うから、周りの人たちは彼女をとても珍しがる。

ヘルシンキの静かな住宅地の一角に、彼女の歌声は響く。美しきフィンランド語。

彼も彼女も、何かをきっと求めてそういう行為をしているのだろう。

歌っていると気持ちが良いとか、ピアノジャズを聴いているときだけは、現実を忘れられるとか。

日本と遠く離れたヘルシンキで同じように、日曜日を過ごす彼と彼女。グローバリゼーションという言葉のなかで、彼と彼女の行為はどこかで繋がっている。

オンラインでもオフラインでもない世界の人々の日常。その連関、その接続、あるいは、分離。

そんな遠くに思いを馳せると、遠くの美しさが見えてくる。近くから遠くへ。遠くから近くへ。いずれは、その往還の運動へ。