Prune.

好きなことを好きなだけ。

なんにもなくて

なんにもなくてごめんね。と彼女はつぶやく。

「なんにもない」と僕はあらためてつぶやく。繰り返す。

 

僕もきっと「なんにもない」と思う。僕より彼女のほうが、色々なものを持っていて、それはもちろんマテリアルという意味ではなくて、彼女の才能とか、あるいは表情とかそういったものの幅の広さのことを指している。

 

彼女は長く伸びた爪先を眺めながら、黙っていても、なんにもなくても、日々はただ続いていって、知らないうちに身体も変化しているのだとあらためて気づく。

 

風が流れる。知らぬ間に雲が遠くへと進んでいる。遠くの橋の上を大型トラックが行き来する。左から、次は右から。

 

変化している。

 

ああ、やっぱり僕にはなんにもない。僕には才能がないから、彼女みたいにはなれないなと思う。それは嫉妬でもなんでもなく、事実性しか帯びていない、感情というにはあまりにお粗末な思いであった。

 

「私はなんにもない。今までも、多分これからも、なんにもない。それが時にはすごく悲しくて、つらくて、でもあるときにはすごく優しくて、心穏やかな気持ちになるの。背負うものも、追われることも、追うこともなければ、それはどんなに気楽なんだろうって。でも、また少しするとなんにもない、なんにもなれない自分が悲しくなるの。」

彼女はそんなふうに話した。

 

空を飛ぶ飛行機の跡が知らぬ間に伸びている。どうしてこんなに僕らの知らない間に世の中は変わっていて、進んでいるのに、僕らはずっとこんなままなのだろう。

ワンルームの薄暗い部屋に差し込む光は、心の奥を照らすにはまだ足りないみたいだった。

20220123

20220123

  • 坂本 龍一
  • クラシック
  • ¥255
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胸の奥に溜まっていた感情のゲージがどんどんと上がっていく。

少し前までは空っぽだったはずの箱が、すっかりと埋まっていく。

そこには最近会った人のことや、最近食べた美味しいもののこと、最近見た美しい景色や、最近ドライブしたときにアクセルを踏み込んだフィーリングなんかが詰まっている。

 

「僕は、多分、この先もこの程度だと思う。」

と彼はひとりでにつぶやく。30を間近にして、彼は自分の行く末のだいたいが見える。それは不幸せでないにせよ、幼い頃に思い描いていたものとは違っている。今付き合っているパートナーと結婚する気はない。もし結婚する気はない、なんて言ったらパートナーは怒るし、悲しむだろう。

しかしこの先もこの程度だと思ってしまうからこそ、結婚してまた新たなものを切り開こうという気持ちにはなれないのだ。これが自分のエゴ以外の何者でもないことはわかっている。

わかっている、という言葉を口にすることもおこがましいことだと、彼は思う。しかし、それは事実である以上、そうとしか言えない。

 

ずっと昔は、彼の心のなかだって、良い意味で空っぽだった。そこには既に描かれた理想像もなく、また世界に関する標準的な絵も存在しなかった。また金銭や住居、容姿に関する基準も存在しなかったし、それらを伝達するメディウムも成立していなかった。

しかし彼は大人になることで、そういったものを伝えるメディウムに自ら乗り、そして空っぽだった心はどんどんと埋まっていった。しかしそれは彼にとって、幸せなことだったのか、あるいは不幸せなことだったのか。

 

彼は友達とお酒を飲みながら、彼の友達のパートナーの話を聞く。一緒に暮らしているけれど、結婚すべきかどうか、といった類の話に。

おやおや、少し前までそんな話、一言も出てこなかったじゃないか、と驚きつつ、そういった感情は「大人」なので隠して、友達の話を聞く。

僕たちは住む家の方向が違うので、彼を見送って、自分の最寄りへと走る在来線のホームへと歩く。歩きながら、僕らは勝手に年をとって、そして良くも悪くも進んでしまっているのだ、と気づく。

それは僕らの個人的な歩みとともに、社会的なものも含めて、進んでいるのだと気づく。テクノロジーの変遷とともに、人々がますます計量可能となり、価値は遷移していく。あらゆるものごとが値踏みされ、記号化され、瞬間的に消費され、データベースに記録されていく。

 

「僕は、多分、この先もこの程度だと思う。」

彼は正直な計量の結果として、この言葉を再び吐く。多分ロボットにも勝てないし、生身の人間を魅了するほどの「なにか」を見いだせているわけでもない。

しかし、いま-ここにあることの重厚さと、再びemptyになり、また埋まっていく心のありさまを想像すると、まだまだこの程度でも十分なのさ、と言いたくなるのは自分だけなのだろうか。

8 Ball

8 Ball

高速度

窓の外の景色がものすごいスピードで移り変わる。田舎の田園風景を見ていた僕は、続いてビル群を眺め、そして海の向こうに沈んでいく太陽を目にする。

僕が少し前まで会っていた人たちや、少し前まで目にしていた画面、大事にしていたものやことが、高速度のなかで記憶から消えていく。

自分のなかでの記憶の定着の前に、この高速な移動は僕を全く別のところへと連れて行ってしまう。そこには目的地がなく、というかどこに向かっているのか分からない。

そこには誰も足を踏み入れたことがない。前人未到の場所。この高速移動体は、定期的にその場所へと運行しているはずなのに、結局今まで誰もそこにたどり着いたことはないらしい。いつも途中でみんなが降りてしまう。

ありとあらゆる存在とそれにまつわる記憶が、文化や思い出として定着するまえに、高速度のなかで分解されてしまう。そんなフローの世界で、僕は自分自身がそもそもストック的な定着性を有しているのか不安になる。そもそも自分とは何なのか、と根源的な問いを思春期みたいに立ててしまう。少し恥ずかしい。

 

移動の本質は、定着や定住からの連続的な離脱であり、いま-ここの絶え間ない変化にあると思う。私は、僕は、という言葉を発する間に、私も僕も変わってしまう。何も知らないはずの他人が、あなたは、だとか、君はだとか、決めつける前にそれは変化してしまい、その規定は無効化されてしまう。

空港がトランスナショナルな空間性を有しているように、AでもBでもないというのは不思議なことなのだ。よく考えてみると。

 

高速度で、移動する。

止まらないで、移動し続けて、と僕はいう。